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民主党(みんしゅとう、)は、かつて存在した日本の政党。略称は民主、DPJ。 院内会派・民主友愛太陽国民連合に参加していた政党が合併して発足した後継政党の民主党と区別して「旧民主党」という場合もあるが、法規上は同一政党(民主党を存続政党とした合併)である。本項では1998年の合併前までの民主党について扱う。 == 概要 == 1994年12月の新進党の結党以降、自民党と新進党の二大政党制が待望される一方、小政党は埋没の危機に瀕していた。次期総選挙に向け、危機感を強めた新党さきがけ代表幹事の鳩山由紀夫らは、社会党(のち社会民主党)との「社さ新党」を模索していた。当初は船田元(新進)との「鳩船新党」を検討していたが、船田は保守政党に固執したため断念した。その後鳩山は、薬害エイズ問題の対応で世論の支持を集めた厚生大臣の菅直人(さきがけ)や前北海道知事の横路孝弘と接触を重ね、新党結成で合意。鳩山と実弟である鳩山邦夫(新進)、菅直人、岡崎トミ子(横路の代理、社民)の4名が「民主党設立委員会」結成の呼びかけ人となった。 社民・さきがけ全体の新党移行を想定していたが、鳩山邦夫は自社さ政権の中心人物である元首相の村山富市、さきがけ代表の武村正義の参加拒否を主張、鳩山由紀夫も同調した。しかし、鳩山由紀夫は自社さ政権成立後、さきがけの代表幹事となって政権を支えた経緯があり、この主張は矛盾したものであった。このときの対応は「排除の論理」と言われ物議を醸した(その年の流行語大賞にも選ばれる)。とはいえ、さきがけのほとんどの議員(15人)と、社民党の約半数の議員(35人)が参加。新党に移行せず存続した母体の社さ両党は1996年衆院選で惨敗を喫したため、実体としてはこの時結成された民主党が「社さ新党」に近い。他に山花貞夫、海江田万里が所属した市民リーグは解散して参加、新進党からは鳩山邦夫が参加した。数の上では社民党が圧倒的多数だったが、長老議員が多く、党運営はさきがけの議員を中心に、社民党出身の中堅・若手議員が加わって担われた。 排除の論理のしこりが残った上に中曽根康弘に「きれいごとだらけで中身がなくソフトクリームのようにすぐ解ける。」と酷評されるなど船出は必ずしも順調なものではなかった。また、結成当初は第2次橋本内閣への対応が定まっておらず、『与党(よ党)でも野党(や党)でもない「ゆ党」』と評された。菅は第1次橋本内閣で閣僚であったため内閣への協力姿勢を示していた。なお、結成から15年(2011年)までに政策を実現して解散する『時限政党』を標榜していた。 当時鳩山邦夫の秘書であった上杉隆によると、結党時に25億円の費用が掛かり、うち15億円を鳩山家からの、残りの10億円を連合からの借り入れで賄ったという(現在は返済済み)。 当時のキャッチコピーは「市民が主役の民主党」。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「民主党 (日本 1996-1998)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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